■劣化コピーとは■
PPP/PFI「手法」を用いたプロジェクトが全国各地で展開されるようになってきている。
「まちとしての総力戦」が求められる時代に、行政・民間とか言っている場合ではないし、PPP/PFIの定義や事業手法比較表、VFMなどを呑気に机上で議論している余裕はどこにもない。こうしたなかで、全国各地でクリエイティブなプロジェクトが展開されてきていることは本当に素晴らしいことである。
現在では指定管理者制度、PFI法に基づくPFI、包括施設管理業務、ESCO、普通財産の貸付、コンセッション、Park-PFIなどの一般化してきた「手法」の範疇では整理しきれないNext PPP/PFIも少しずつ芽吹いている。
別のnoteで随意契約保証型の民間提案制度を事例として紹介したように、物事が爆発的に広まるときには必然的に亜流や質の低いものも広まってしまうことは自然の摂理である。しかし、それは分かったうえでも残念かつ少し早いうちに整理したほうが良さそうな事例がいくつかあるので整理してみたい。
(本noteで紹介する事例は、それぞれのまちの事情があって判断してきたものだろうし、それぞれのまちの「生き方」なので否定するわけでもdisるわけでもないが、「A市」等としてしまうと一気にリアリティがなくなり資料等もトレースできなくなるので、敢えて実名で紹介する。皮肉ではなく本気で今後、それぞれのプロジェクトがまちとして良い方向に向かうことを願っている。)
●表面的に優良事例をベースにする「劣化コピー」
この世界でよく皮肉的に言われるのが「劣化コピー」である。
隣町でPFI法に基づくPFIで図書館を中心とした巨大な施設を社会資本整備総合交付金等も活用して整備したから、「そのコンサルに委託」して「その要求水準書を準用」して「その事業手法をトレース」して「似たようなハコモノ」を整備するのが劣化コピーである。
国(やコンサル)が示す優良事例集やセミナー等の資料で紹介された事例を通信販売のカタログのように用いて担当者や首長・議員が「これをうちのまちにも」と、「表面的に・誰かが言っている事例を・直接みたり感じたりすることもなく」盲信して形だけ真似していくのも劣化コピーの一種である。
今読んでいる小説のプラチナタウンにもこのことは(小説とは思えないぐらいのあるあるネタとして)記されている。
●劣化コピー=オリジナルのなんちゃってボディ-魂
PPP/PFIに限った話ではなく、世の中のすべてのプロジェクトはそれぞれのまちの文化・歴史・風土や課題・やりたいことなどをベースとして、関連する様々な主体が出せるリソースと地域コンテンツ・プレーヤーなどを足し算・掛け算しながら、様々な与条件とすり合わせ、ときには何かを涙を流して削ぎ落として創出するオーダーメイド型であるはずだ。
自分がこれまで関わってきた案件や世の中の優れたプロジェクトはいずれも事業手法比較表・VFMなど用いていないし、事業手法も意外とシンプルなもの(の組み合わせ)で構成されている。
同時にそれぞれのプロジェクトを組成していくプロセスでは、多くの関係者が必死にプロとして関わり覚悟・決断・行動しながら魂を込めていく。だからこそオリジナルには「その人たちでしか出せない」オリジナリティが宿り、そこにしかない場・空気・迫力が備えられ、当たり前だがそこまでの幾つもの多難なプロセスを乗り越えてきた足元の強いプロジェクトになっていく。オリジナリティとは魂そのものである。
一方で劣化コピーは、こうしたプロセスを省いて表層的な部分「だけ」をネット上に転がっている要求水準書等をコピペして安易に真似するから、魂が宿ることはない。オリジナルの要求水準書は、その単語の一つずつはもちろん、行間のニュアンスにも魂が宿っているのだが、表面的に1秒でコピペしただけの劣化コピーの要求水準書は単なる「文字情報」でしかない。文字情報でしかないので、そこに応募する民間事業者も「文字情報をベースに勝つ(仕様発注のパズルを解いていく)提案」をするに過ぎない。
そして、こうした劣化コピーの恐ろしさは簡単に無限増殖してしまうことである。
劣化コピーとは、オリジナルを表面的だけ模倣した経済合理性の欠如した「なんちゃってボディ」で「魂が宿っていない」ものなのだから、どこにも魅力が存在しない「モテない君」にしかなり得ない。人を惹きつける要素がないから墓標に成り下がり、まちの中に負債として長期間にわたって鎮座してしまう。
===続きはリンク「まちみらい公式note」===
https://note.com/machimirai/n/n2e6f6433ba09
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