■最近の関わったセミナー等

●自治体等FM連絡会議
本年2月の東京大会に引き続き2024年8月1-2日に富山市で開催された自治体等FM連絡会議に出講させていただいた。
今回のテーマは「都市経営の視点から見た公共空間の可能性」。いつも言っていることだし、わかったつもりでいたけど改めて自分の経験をベースに話そうとすると意外と難しい。
資料提出の締切が早かったこともあり、色々とnoteでも頭を整理しながら「まちとの絆-短絡的な総量縮減・オママゴトからの決別」と題して資料を調製、提出したものの開催1週間前までどこかモヤモヤ感が残っていた。
そんななか、パリオリンピックにおいて阿部詩選手が初戦敗退し号泣する姿がテレビから流れてきた。なぜか批判する人たちもいるようだが、これだけの経験値をもち修羅場を潜り抜けてきた超一流選手が「お作法」を知らないわけがないし「毅然とした態度を取る重要性」は外野のやったこともない誰かが言うものではない。
この姿を見たときに「自分はここまで何かに賭けたことがあるのか?」「自分が関わっているプロジェクト・まちでうまく行かなかったときにこんな号泣できるぐらいやっているのか?」という反省と同時に、素直にこういう場で号泣できる阿部詩さんが羨ましい・ステキな人生だなと感じた。
画面を通じでも「人の匂い」が伝わったし「泣けるぐらいやってるか?」こそが年経営課題そのものなんじゃないかとなった。
首長ガー、議会ガー、既得権益ガー、異動ガー、財政ガー、法律ガー。。。結局ダダをこねて言い訳してやらない(≠できない)ことを正当化してるだけじゃないのか、だから心・魂が入らないから無機質だし、まちが衰退しているんじゃないか。当日のプレゼンでは「人の匂い」「泣くぐらいまでやっているか?」を軸に据え(写真や補足スライドを多用す)ることでなんかハマったと思う。

●公共FMフェス2024IN紫波
翌週(2024年8月6-7日)に開催された公共FMフェス2024in紫波は、伝説のロックイベントBEAT CHILDのように「記録に残らないが記憶に残る」強烈な場、対バン形式のトークイベントで今回が3回目になる。日本管財株式会社様に主催いただき企画・メンバーの人選等をさせていただいているが、今回はこの世界の聖地である紫波町で開催できることとなった。
事前打合せ・台本等は一切なく、Slidoを使いながら会場一体型の「再現性が全くない」場であり、今回もとても簡単には消化出来ない情報量・熱が爆発した場となり大盛況であったが、やはりやっている人たちとプロジェクトがリンクした「人の匂い」が大きなキーワードであったと思う。後段で解説するが、それを証明したのが2日目に行われたまち歩きである。

■まちとのリンク≒人の匂い?

●まちとリンクするとは?
公共資産(公共施設・インフラ)は当たり前だが「まち」のなかにある。にも関わらずほぼ全ての自治体の公共施設マネジメント関連の計画(公共施設等総合管理計画・個別施設計画・施設再編計画等)では行政が所有する施設しか地図上にプロットされていない。
自分が勤めていた流山市でも、自分が策定した当初は「民間にできるものは民間に」をキーにしていたことから民間との連携・役割分担の可能性が高そうなものについては民間の類似施設も全てプロットしていたが、(メンドくさくなったのか、そういうモノの考え方を捨ててしまったのか)改訂後の計画では公共施設のみしか対象となっていない。
これでは二次元の世界ですらまちの様子が視覚的にも把握できず、まちとリンクすることなどできるはずもない。

●ダメなプロジェクト≒無機質
現在参加させていただいている唯一のまちの行政外部委員会では、毎回いろんなプロジェクトが施設所管課(と大半の場合は多額の委託費を払っているコンサル)から提案される。ある回では、駅前の民間所有のビルに政治的な理由(約束)で公共施設を設置したいという案件が提示された。担当者ですらその意義・価値を見出せずにいるなかでの提案だったので、良い方向に触れる可能性は全くない。
ある自治体からいただいた相談では、かなり昔から取り組んでいる駅前の土地区画整理事業の進捗率が40%台に留まり、この先も進捗に向けた道筋が見えそうにないとのことであった。しかも市施行なので担当者も数年単位の異動を待ち、誰も真剣に進めようとしていないとのことであった。現時点でも区画整理事業の事業中であることから抵当権の設定などが困難で、地権者の方々は自らの土地を不動産として十分に活用することができず、物理的に不動産の流動性が阻害されている。結果的に駅前でありながら悲しいくらいに寂しい姿を晒していた。
自分が公務員時代の最後に関与した流山おおたかの森駅北口の市有地活用事業でも「市の財政負担ゼロでホールを整備する」ことだけにフォーカスを絞ってしまったことでエリアの価値を向上させるようなものにはならなかった。
これらに共通するのは「表面上の形だけを取り繕うとする、言われたからやる」だけのものであり、まちやそこに関わる人々の生活との有機的なリンクを考えようとしない無機質なものであることだ。

===続きはリンク欄「まちみらい公式note」===
https://note.com/machimirai/n/n877c2b928d2a

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