●手が動かない
多くの自治体でアドバイザー業務をさせていただいたり、職員研修で講演をしたりセミナー終了後の懇親会等でよく出される素朴な意見が「どこからやっていいのかわからない」「何が課題なのかわからない」「自分たちにできるのかわからない(自分たちではできない)」といったものである。
今回は、このあたりについてなぜそうなってしまうのか考えてみたい。
●どこからやって良いのか
「どこからやって良いのか」途方に暮れている人・まちはこれまで国の方針、法律や条例で位置付けられたこと、既存計画で位置付けられていること、首長のマニフェストに書かれていたこと、隣町でやっていること(の劣化コピー)、議会で「なんとなく」質問されたこと等を「受動的にこなす」ことしかしてこなかった(それが仕事だと妄信してきた)のであろう。
自分たちでまちの課題やポテンシャルを認識して自分たちなりに考えて起案する、手を動かすことをしてこなかったのだろう。後段で記すがどこのまちにもやらなければいけないこと、やれること、やったら面白いことは無限にある。
「どこからでも」気付いたところからまずは手をつけることが大切である。
●何が課題なのか
そうはいっても「何が課題なのかわからない」といった意見も現実的に多く耳にする。総務省の公共施設等総合管理計画の策定要請では、旧来型行政の思考回路・行動原理をベースに「財政が厳しいから短絡的なコスト削減を図るため施設総量縮減」にフォーカスが絞られた。
そもそも「そこじゃない」だけでなく、国やコンサル・学識が示す方向性に沿って総量縮減を掲げた結果、(利用者)市民や議会から袋叩きにあい路頭に迷ってしまったまちも多い。こうしたなかでなぜか公共施設等の問題は「過去のもの」「どうにもならないもの」扱いになってしまっていないだろうか(あるいは恣意的に堕としていないだろうか)。
アドバイザー業務では「各課が抱えている課題とどうやったら解決できそうか」をプレゼンしてもらい、多様な職員が徹底的なディスカッションをしながら形にしていくことを基本としているが、プレゼンする部署がかなり限定的だったり、悪い場合には回を重ねるにつれて脱走者が続出してしまったこともある。(もちろん宮崎市のようにプロジェクトが次々と創出され、かつ案件数も増加していく「正のスパイラル」が形成されていくことが理想である。)
「何が課題なのか」、本当にわからないのだろうか。そうした人・まちに限って懇親会では幹部職・首長・議員やまちに対する愚痴を乱発する。やらない人・まちに限って「そこにいない誰か」や「まち」のせいにするが、そこでいくら騒いでも何も解決しない。愚痴があるなら、それを自分たちで解決していくしかない。
そうした人たちには必ずその場で「ここで言っている言葉を明日、すぐに自分で実行しろ!文句があるなら直接、その人に言え!」と告げるが、何もアクションを起こすことはない。
「何も課題を感じていない」時点でなんとかしなければといったモチベーションは働きようがない。
プロとしてその組織に関わっている以上、常に課題は持たなければいけないし、可能性も信じなければいけない。そしてそうしたものを持っているだけではなく行動に移す、結果に繋げてはじめてプロとしての存在価値が生まれることを忘れてはならない。
===続きはリンク欄「まちみらい公式note」===
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