「計画行政」を頑なに主張する人たちは、二次元の総花的・抽象的で「何も決まっていない」計画になぜそこまですがるのでしょうか。
結局は、三次元のリアルな世界でプロジェクトにするのを先送りしようとしている(自分で責任を負いたくない)からではないでしょうか。覚醒前のシンジくんと同じ思考回路・行動原理です。
————–
アスカが、3号機に乗っていたとき、僕が何も決めなかったから。助けることも、殺すことも。自分で責任、負いたくなかったから。
————–
「何も決めない≒自分で責任を負いたくない」ことが、まちの衰退を招くのです。
自分も公務員時代も含めて現在まで「経営判断が必要な場面」に何度も遭遇してきました。
ダメなまちは、市長も含む最終の政策決定の場でさえ、隣を見合わせ空気を読みながら誰かが発言するのを待ち続けて変な空気が流れます。そして、誰かの発言を契機に小さな不確定要素やリスクを突っつきながら徐々に「今やらないための屁理屈」を並べ始め、最終的には「時期尚早である」と「やる・やらない」の判断すらしない、何も決めないシンジくんになってしまうのです。
「決めない」≒何もしないことでその場はプロ意識の欠如した集団では丸く収まるかもしれませんが、その意味のない先送りを繰り返すことで後述のように選択肢が狭まっていくのです。
議会・関係団体や市民に対して「説明を尽くして全員合意を得る」、「大切な事業だから議会では全会一致が原則」といった話をする行政の関係者もいまだに多いです。
少数意見に耳を傾け、そのなかで本質的な意見は政策やプロジェクトに反映していく必要はありますが、なかにはそうした正論・理想論とは異なり「反対のための反対」をする人たちも現実に存在します。
「丁寧な説明」を永遠に繰り返していても、そもそも聞く耳を持っていない人・合意できる着地点を持っていない人には意味がありませんし、時間の無駄です。
全員合意も現実的ではないですし、全員合意が取れるものは「遥か昔にやっておかなければいけなかったこと」か、「なんとなくの最大公約数で魅力の全くないもの」でしかありません。
議会のルールとして、一部特別議決のものはありますが、大半のものは過半数の同意で良いわけです。議員(やそれなりの職責を持った人)はそれぞれの立場もあるので、理屈ではわかっていても公の場では反対しなければいけないこともあります。こうした人たちも含めて、全員合意を取る意味が本当にあるのでしょうか。
===続きはリンク「まちみらい公式note」===
Comments are closed