今回も前回から時間がだいぶ経ってしまいましたし、メッチャウルトラ長くなってしまった。。。
年度末、そして来年度に向けて改めて考えてほしいことです。
==■まちみらい流で発生したこと==
●改めて「まちみらい流」
まちみらい流のアドバイザー業務では「様々な部署の担当者がそれぞれの課題を持ち寄り、何が課題でどう解決できそうかをプレゼンし、それを参加者で徹底的に何度もディスカッションしながら、形になりそうなものから順番に事業化する」形で実施している。
実際にこの方法論を用いることで、常総市・宮崎市・久米島町・石川町・玉名市・川南町等で多様なプロジェクトを創出してきている。
1年目から(個々のプロジェクトの難易度・庁内外の熟度・まちの体制・財政状況等によっても異なるが、)ある程度のプロジェクトが顕在化することもあるが、2年目、3年目と時間と数を重ね、経験知を蓄積することで指数関数的にプロジェクトの質・量が増加していくのが大きな特徴である。
実際に常総市の3年目ではほとんど筆者に頼らず、自分たちだけで自律した議論が行われていた(筆者はほぼ発言の機会すらもらえなかった)。
●ある自治体でのアンケート結果
2025年度から基本の1.5倍のボリュームのモリモリパックのアドバイザー業務がスタートしたある自治体で、こうしたまちみらい流の案件協議に参加した職員に対するアンケートが実施され、それを目にする機会を得た。
事務分掌に位置付けられたルーティンワークだけで「クソ忙しい」のに、1.5日×8回/年を拘束されるのは確かに相当の労力を要する。これは物理的・時間的に間違いない。このアンケート結果では、「まちみらい流」に対する前向きな意見や可能性に対する共感の声が多く寄せられたが、同時に「負担感」に対する率直な声もいくつか並んでいた。
・通常業務に加えて資料作成や発表準備に非常に負担を感じた
・強制的に参加させられることへの不満があった
・参加したことを人事評価に反映してほしい
・毎月の発表が負担で、進捗がない時期には絞り出すのが大変だった
「本人が率直に感じたこと」なので全く間違いはないだろうし、客観的に見ても確かにそのとおりだろう。もちろんこうしたことを言いたくなる気持ちもわかる。
忙しい通常業務を抱えながら、毎月のように案件協議の場に参加することが求められる。2回目以降の発表では「前回どのような議論がなされたか、この間にどのようなことを実施したのか、これからどうするのか」の3点をプレゼンしなければならない(≒誤魔化しが全く効かない)。そのために資料をつくり、発表し、また翌月に向けて動く。これを何度も繰り返すのは確かにきつく・しんどいことは間違いない。
しかし、同時にこれらの意見でモヤつくのは「案件協議で取り組んでいること・テーマは新しい仕事なのだろうか」ということである。
==■「与えられた仕事」と「本来の仕事」==
●ルーティンワーク
地方自治法で地方公共団体が行う事務は、自治事務と法定受託事務であるとされている。これを元に各課には事務分掌が定められ、それをそれぞれの担当者が「仕事」として実施する。特に法定受託事務(や多くのルーティン化された自治事務)は毎年同じように処理して前例踏襲で回していける類の仕事で、それをきちんとこなすことは当然必要だし、公共サービスとして最低限やらなければならないことだ。
しかし、自治体が現在の世の中・まちから本当に求められていることは、これに加えてクリエイティブに「まちの課題を解決すること」と「まちのポテンシャルを引き出すこと」であるはずだ。この視点に立ち返ったとき「前例・引継書・マニュアルどおりにこなす仕事」だけでそれが果たせないことは誰もが薄々感じているはずだ。
このことは自治事務はもちろんだが、法定受託事務でも同様だ。法定受託事務は「決められたこと」を「求められるクオリティ」で実施する必要があるが、いかに効率的に行うのか、どれだけ高いサービスの質を提供するのか等は十分に工夫の余地がある。
世の中がすごいスピードで変化し、人件費や物価の高騰・人がいない問題・財政調整基金の減少(※ここ数年は多数の自治体で枯渇)等が進み、それを認識しているにもかかわらず、去年と同じことを今年も、更に来年もやっていては「回らなくなる」のは当然だ。
●「まち」は自分たちの写し鏡
「まちの姿はその自治体の職員(総体)の写し鏡」の側面もあると感じる。
老朽化した公共施設が放置されたり、中心市街地が衰退しまくっていたり、若い世代が我先にと逃げ出しているまちには、それを自分ごととして捉えられなかった個々の行政職員や組織としての行政、更には議会があるだろう。
このnoteを読んでいただいている行政関係者にも思い当たる節があるのではないだろうか。
「誰かがやってくれるだろう」と他人事で現実逃避をしていたり、「どうせうちのまちは」とフリーザ様の最終形態を前にしたベジータばりに戦意喪失していたり、「〇〇ガー」とそれらしい屁理屈をこねて自己保身のリスクヘッジをしていたり・・・
更にはオママゴトのシミュレーションゲームで(現実は何も変わらないのに)変なな世界に没入したり、市民ワークショップでなんとなくやった感を出したり、昭和100年の公務員像・行政像をいまだに脳裏に焼き付けて「仕組みが悪い」と言い訳したり・・・
(呼ばれて有頂天になっている本人も問題だが)大した成果を出していない人を講師やアドバイザーとして招聘し、その枠内で「俺たち頑張っている感」を出して井の中の蛙状態になっていたり(←これは自分も気をつけなければw)・・・
こういう世界に留まっている職員が大半を占める、組織としてその程度でしかない自治体だからまちが猛烈なスピードで衰退してしまう。
一方でまちに真摯に向き合う相応のリソースを投下してきた自治体は、やはりそれだけの覚悟・決断・行動をしていることもあり、投下したリソースがその瞬間に全て結果に結びついているとは言わないが、試行錯誤の状況も含めて少しずつ着実に変化が起きているし、何よりも職員が自ら動けるようになっている。
同時に地域コンテンツ・プレーヤーとリンクすることもプロジェクトを具現化するための必要条件になることが多いことから、点としての公共施設やワンイシューとしての行政課題ではなく、それをすることでまち全体のバランスシートがどうなっていくのか考えながら進めることができるようになってくる。こうしたプロセスを通じて自ずとまちなかに理解者も増えてくる。
改めてこの自治体だけではなく、これまで関わってきた・あるいはまちみらい流でやることを躊躇っている自治体に考えてほしいことがある。
案件協議で取り組んできた公営住宅・福祉施設の活性化・公有地の利活用・包括施設管理業務委託・ESCOによる空調や照明の更新・包括売却業務委託・改修工事の優先順位付け等は「新しい仕事」なのか、それともずっとそこにあった課題なのか。
ーーー続きはリンク「まちみらい公式note」ーーー

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