全6回しリーズで寄稿させていただいている日経グローカル。

今回は「ハコモノ優先で運営事業者が軽視される問題」について考察しています。

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公共資産は市民生活を支えたり(≒公用施設)豊かにする(≒公の施設)ためにあるはずだが、まちから乖離して負債になったり、悪い場合には墓標に成り下がっているものも数多い。

 地方自治法の施行は1947年である。戦後の焼け野原から高度経済成長に至るまで、道路・上下水道などのインフラとともに日本全体でまずは圧倒的に不足するハコを庁舎・消防・学校・供給処理施設等の市民生活を支える施設を中心に供給する必要があった。同時に社会教育等のために公の施設も徐々に整備されていくこととなったが、この時代は戦後の焼け野原からバブルの頂点に至るまでに国の一般会計が355倍に伸びたことなど強烈な右肩上がりが背景として存在していた。

 1990年代になってくると、熊本アートポリスに代表されるように有名建築家・大手設計事務所等を中心として公共建築に高い意匠性、先鋭的な構造、実験的な設備等が用いられ、「公共施設はまちのシンボル」と言われることが多くなってきた。同時に「巨大で華美なハコを作ればまちが活性化する」と、中心市街地活性化事業に基づく再開発ビルやまちづくり交付金等に依存した図書館・美術館・体育館などが次々とまちからスケールアウトしながら整備されていった。この多くが現在「墓標」となっているのだが、いまだにハコモノ神話の幻想は全国各地で脈々と生き残っている。

==続きは日経グローカルで===

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